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執筆者の写真Writer.katsu

大相撲の「もの言い」にもの言いたい

更新日:2019年11月3日

話は少し遡って、5月の夏場所についてであるが、行司の軍配に対する「もの言い」について、やや疑問を感じた。


この場所で、いくつかの「もの言い」があったが、特に、栃ノ心と朝ノ山との取り組みについてである。取組自体、栃ノ心の土俵際での投げはかなり微妙であったため、協議する必要があったのは分かる。


問題はその後の結果である。行事の軍配で栃ノ心を勝ちとした判定にもの言いがついたわけだが、この協議がまず長い。約6分あまりもかかっている。決めるのにここまでかかるなら、取り直しの方が早いし、そうすべきであったと、私見では思う。


これだけ長い協議を行って、結局、行司差し違えにより、朝ノ山の勝ちに覆ってしまった。栃ノ心も、さぞや不満であっただろう。


覆った判定について、さらに疑問を感じたのは、見ていた4人の審判員のうち、栃の心の足が土俵の外についていたのを見たのは、たった1人!他の3人は見えておらず、判定自体ができなかったのだ。しかも、見えたというその1人の意見も、砂で見えにくい状況の中で、かろうじてついたかどうか判定できた、という危ういものである。


これでは、見ていた1人が嘘をついていたかどうかも分からず、その判定員の判断について、分かるものが誰も居ないのだ。にもかかわらず、判定結果は、見えていたと主張する、たった1人の判定員の判断により決めてしまった。


なんともお粗末な話である。


ただでさえ、力士たちの勝敗を決する大事な判定である。特に、この場所においては、優勝の行方を左右するほどの大事な判定であったはずだ。


判断が覆らないのであれば分かる。微妙でありつつも、行司がくだした軍配どおりで一件落着であったはずだ。

判定を覆すような大事な判断を、4人中、たった1人の意見によって決めてしまったことに、大きな不信感を抱いた。


協議中、「やり直せ!」と大きな声があがったが、私も同感であった。繰り返すようだが、このように判定が難しい場合は、もう一度、取り直しすべきであったと思われる。野球で言えば主審とも言える行司の軍配を、微妙な判断で覆すようなことがあってはならないのではないか。


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