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川崎市の殺傷事件から思うこと

  • 執筆者の写真: Writer.katsu
    Writer.katsu
  • 2019年5月29日
  • 読了時間: 3分

更新日:2019年11月3日

ここは、画像付きの作成用記事の作成用で、最初から例文が書かれていた場所。


せっかく画像がついていたので、最初の文章を消して、記事を書いてみる。


初めて書いたブログ記事に続いて、今日2つめのブログ記事。


未だに使い方がよく分からない。


とりあえず、いろいろ試しているうちに、なんとなく分かってくるだろう。


それにしても、昨日の朝の殺傷事件について、今日も新しい情報をニュースなどで取り上げていたが、本当に恐ろしい時代になったものだ。

このような痛ましい事件が、毎年のように起こる。いや、日本だけでなく世界にも目を向けると、年にいくつもあるんじゃないか?こないだのスリランカ襲撃は、イスラム国に影響を受けた者だとか?


昔に比べて、こういった狂気じみた殺人が増えている気がする。

世界大戦のような大規模な戦争は、自分が産まれてからは皆無とはいえ、こういった数々の事件も、ある意味、とても小規模な戦争とも言える気がする。


話を戻すが、犯人の岩崎容疑者は、引きこもりがちなところがあり、離婚した両親の代わりに面倒を見てくれている伯父にも心を開かなかったとか。


ある心理学者などは、犯人の鬱屈した感情が爆発し、自分の自殺に多くの人を巻き込んだ「拡大自殺」である、と言っていた。言い方を変えると、「大規模な無理心中」?


しかし以前から不思議に思っていたが、こういった事件の被害者は、だいたい決まって「良い人」である。亡くなった2人も、1人は挨拶と笑顔を絶やさない女子児童、もう1人は、ミャンマーで通訳もできる、将来有望な外交官。いずれも、その死を悼む人が多い。現場に飾られた花は無数にある状態で、今もまだ、置きに来ている人が後を絶たないとか。


ほんとに一瞬の犯行で、犯人も、殺す相手がどんな人柄であったとかは知らないはず。なのに、なぜか周りからも好かれる、とても人格者である人が被害者になりやすい気がする。


かなり飛躍した話になるが、イエス・キリストは、皆の身代わりとなってはりつけにされ、殺された。徳の高い人は、そのような役割を負うという運命を持っているような気も…


こういう事件の度に殺されてしまう、いわゆる「良い人たち」も、皆の身代わりになっている、ということなのだろうか?


そういえば、遡る話になるが、今年の1月には、親からの虐待により、幼い命を絶たれた栗原心愛さんも、なにか大きな役割を持って生まれた子のような気がしてならない。


なぜなら、彼女の死後、国が動いて法律を変え、児童相談所のあり方を見直すことになり、しつけによる体罰も禁止する、という動きもあったからだ。

彼女は、これから生まれてくる幼い命や、今まさに虐待を受けている全国の子供たちのために、死をもって大人達を動かしたのではないだろうか。


と、書いているうちに結構長くなってしまった。

基本的に書くことは割と好きなので、書き出すと止まらなくなる。写真のイメージともだいぶ違う内容になってしまった。


この記事はこのあたりで終わりにしよう。


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