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執筆者の写真Writer.katsu

誕生日

10/3は私の49回目の誕生日。

この世に生を受けてから49年も生きているのか。

ほぼ半世紀ということになる。


あまりそんな実感はないが、いつの間にか月日が経っている。

正直言って、子供の頃から順風満帆な人生ではなかった。特に人間関係において。


対人恐怖症からうつ病の発症に至ったのも、そのせいでもあるだろうが…


小学生の頃、自分は二重人格の傾向があった。小学校時代、クラスメイトとは仲良く元気に遊んでいたが、登下校で全学年一緒に歩いていく群団のメンバーとはそりが合わず、一言もしゃべらなかったため、下級生からもいじめられた。


中学校でもクラスメイトから「暗い」と言われ続けたりいじられたりして、あまり良い思い出がない。

高校でも、楽しい思い出もあったが、それほど友達が居たわけでもない。


大学生になってスーパーのレジのアルバイトを卒業まで続けたが、これがとにかく嫌だった。初めて接客という仕事をすることになったのだが、高校生までの友達が少ない人生を過ごした人見知り状態の自分にとって、知らない人間ばかりを相手にしなければならないのは、とにかく苦痛な時間であった。


客というのはわがままだ。

なにかにつけて文句を言われ、バイト仲間と愚痴っていないと、とても続かないほど嫌な仕事だった。


大学卒業後、念願の国家公務員になり、気楽で安定した人生を想像していた。しかしその夢はもろくも打ち砕かれた。


主に事務所で内勤。

公務員のイメージは、世間からもとても楽に思われがちだが、とんでもなかった。


滞納している会社の社長宅へ行き、国庫金の納付を督励する仕事。

業務中に負傷した者に対する補償などの仕事で、接客は普通にあることに加え、調査などで会社や個人宅に赴かねばならない。


ただでさえ人見知りの自分が、このような仕事を長年続けたことにより、だんだんと精神がむしばまれていったのだと思う。


入省して26年目で辞めたが、よくここまで続いたものだと我ながら感心したほどだ。


辞めるまでに3回休職した。


1回目は入省後10年余りの頃、上司からのパワハラにより。

この頃はまだうつ病とか心療内科の存在もあまり広まっておらず、職場の周りの者からの勧めで、初めて心療内科に通院した。

この時は職場の配置換えなどの配慮もしてもらい、半年ほどで職場復帰を果たした。


2回目はさらにその10年ほど後、20年目の頃。

人事異動による新しい職場は豊橋市にあるため、通勤するには遠く、しかも仕事もうまくいかなかったため、心身ともに疲れが蓄積し、異動後半年ほどで休職。


しかし、職場の上司からの要請もあり、3カ月ほどで職場復帰し、万全の状態でないまま、元の仕事に戻った。

このことが後々に影響した。


次の人事異動の際、実質的に左遷という形で、豊橋の役職より下のランクの役職で名古屋へ異動となった。


仕事内容は増やされ、休職明けで心療内科にも通院中と万全でない自分に、他の職員と同じように仕事をあてがわれた。

新しい上司に病気のことも話し、今の自分ではこの仕事量は無理、と訴えると、他の職員に仕事を振り分け、負担を軽くされたためなんとか続いた。


しかしこのことが元で、直属の上司に仕事の負担がおよび、しかもその当時の直属の上司は性格の悪い陰険な者だったので、仕事を軽くされた代わりに、上司からのいじめに耐えなければならなかった。

これも精神的にきつかった。


結局、仕事を減らされても減らされていなくても、どちらにしても自分には心の負担が増えていたことになる。


1年後の人事異動により代わった新しい上司は、以前の部署で先輩だったこともあり、自分のことを理解してくれてフォローもしてくれたため、仕事の負担は他の職員と一緒にされたが、この上司と一緒の2年はなんとかなった。


しかし、休職した期間や仕事の制約のこともあり、自分の立場も悪くなった。

自分の役職は職場復帰後もずっと据え置きにされ、若い頃に自分の後輩だった者たちに次々と抜かれた。

これも精神的に辛かった。


そして次の職場への異動でも、役職は実質的に降格で、またも左遷の形で、しかも窓口の負担が多い役職であったため、ここで緊張の糸は切れた。

新しい上司たちに訴えても状況は変わらず、年度途中でとうとう3回目の休職。


自分の中で、休職3回目に到達したら、この仕事は自分に合わないだろうから辞めようと決めていた。

しばらくは病気休暇扱いや休職手当をもらいながら休み続けていたが、WEBライティング実務士の資格を取得できたため、このタイミングで退職を決意。


そして今年に入り、語呂が良いと思い1月11日付け退職。


ライターになった現在は、接客などの対人の負担もなく、自分のペースでライティングの仕事ができるので、公務員時代に比べると天国のようだ。


この他にも、在職中は金銭トラブルに巻き込まれて自分の金融資産をほとんど失ってしまったり、住んでいたマンションも差し押さえられ、不動産も失って賃貸へ移るハメになったりと、いろいろな目に遭った。


本当に、国家公務員を辞めるまでの数年間は、地位や名誉、お金、家も失い、辞めたことによって仕事も失った、という人生の不幸を一度に味わった。

この数年間で私は一度死んだような気持になった。


その分、新たにWEBライターとなった今は幸せな時間を過ごせている。

しかし収入は安定していないので、今後はどうなるか分からない。


ただ、公務員のため退職金も確保できているので、厚生年金をもらえる65歳までなんとか食いつなげれば、と思っている。


これまでの経験から、いくら生活が安定しても、自分の健康を害するような仕事は避けた方が良い。

公務員を辞めたことに悔いはない。


約半世紀の人生を振り返り、今後、どのように生きていくか。

そのようなことを考える分岐点に、私は立っているのかもしれない。




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